MFTカップ参戦記・七色ダム

 10月28日(日)、MFTカップの舞台となる七色ダムへ向かう為に午前1:00に家を出発する。前日半日近く釣りをして疲れていた筈なのに、僕は一睡もしていなかった。ま、そんな事はとにかく、午前4時前には集合場所となっている七色ダムのレンタルボート屋「レンタルボート下北」に到着。なんと、そこには仮眠室というのがあって、MFTの方々が既に到着して会話で和んでいるではないか!知らなかった〜。

 そうこうしているうちに6時が近くなったので、慌てて桟橋へ荷物を持って行き準備を整える。何とか開会式に間に合い、エントリーした後に7番手で出走。しかし、出走時からM君にエレキの使い方を教えなければならなかったのでエンジンでポイントまで一気に走らず、エレキを使わせながらゆっくり進む。出遅れたという気はしなかった。ダムだからポイントは沢山あるから、エレキを流しながらゆっくり釣り回れば魚のいるポイントへ当たってどこかで釣れる筈だと思っていたのである。

写真:七色ダムの様子

 取り敢えずその思惑は外れてはいなかった。スタート地点からそんなに離れていない場所でM君が魚を何度か掛けるが針に掛けられない。やっと掛けたと思ったら、姿が見えた瞬間にラインを切られて逃げられてしまう。彼が使っているラインは細いので、切られるリスクが非常に高かった。今まで何度も改める様に注意をしていたのだが聞き入れられていなかった。ラインが細くて魚に切られて逃してしまう・・・「敗因その1」である。ラインを切って水中へ潜って逃げて行く魚の姿を見て、魚が全く当たってない自分にはとても残念過ぎる気がして、その上目の前が暗くなったと言うか何というか、意識が遠のいてしまった。その後に彼はキーパーサイズ25センチ以下、つまりノンキーパーサイズは釣ったのだがこれじゃぁ・・・。

 写真:競技中のM君。思ったよりも早くエレキの使い方を覚えて、後半に差し掛かる頃には釣りながら繰舟するといった事もしておりました。

 この時の状況を詳しく説明しますと、水中に見える杭の側や岸際へ落とし込みを掛けたり、水面に気が覆い被さっているポイントへ落とし込みをしたりして探っていたのですが成果は全くありませんでした。

 M君がエレキに慣れた頃に長距離移動する。ダムに水没した建物より下流へ向かうが、魚の気配は無かったので引き返しながら釣り続ける。それでも手応えが無いので一気にスタート地点に戻る。その間、僕は疲れが出ててしまい、フルスピードで滑走しているボート上であるにも関わらず寝ていました。他の人から見れば、舳先で崩れて寝ている野郎を積んだ舟が滑走している姿はどの様に見えたであろうか?とにかく、スタート地点へ一気に戻ったというのは、僕は前日から腹下しをしていたのでトイレに行きたかったのです。そのような体調の癖してTシャツ1枚という格好だったので、上に着る服も取ってきて再出発。その頃に我々の近くにKENSUKEさんがいて、魚を釣り上げている様子が伺えた。我々はそんなKENSUKEさんの後ろを羨ましそうな目で通り過ぎていった。

 再出発して再開してすぐにM君が結構なサイズを釣り上げてきた。それを僕が取ろうとしたが手が届かない。こういう時ならば本来はネットを持ってくるべきだったのだが、用意を忘れていた。先程述べたように彼のラインは細いのでやり取りの途中いつ切れるかヒヤヒヤだったので早く取り込もうとするが、魚が舟の下に潜りそうだったので魚は掴めず、恐る恐るラインをたぐり寄せようとするとプチン!と切れてしまった。彼のタックルを考えてネットを持ってくるべきだった。「敗因その2」である。

写真:桟橋の風景

 その後、M君は何とか34センチ程のサイズを無事釣り上げる。ライブウェルを持っていないので僕が前まで飼育バスを飼っていたたらいに餅焼き網を蓋にした手製ライブウェルに入れる。これで、少し気が楽に・・・なる訳がない!僕は何一つ釣っていないのだ!自分は終わるまでずっとイライラしていました。(釣れない自分が原因なんだが・・・)更に後で気付けば、釣った魚をライブウェルに入れた時に撮影しておくのを忘れてしまった。不覚・・・。

 結局、そのまま時間だけが過ぎ去ってしまい競技終了。結果と表彰式に出てみれば、殆どの人はキーパーリミットギリギリで5匹揃えていたので僅差での接戦となっておりました。そのような中で、夏にご一緒させてもらった田中さんが今回の勝利と共に年間チャンピオンとして君臨されました。前回の夏に自分という足枷を引きずって振るわない成績に終わったのにも関わらず、巻き返すようにして勝利を手になされたのには心より敬意を表したいと思いました。1匹のM君は14位でした。僕はノーフィッシュで当然最下位!

写真:表彰式の撮影を撮影。

当日の結果はこちらで公開されています→MFT WEB SITE

 それからKENSUKEさんや大会本部長さんに挨拶して帰途に着きましたとさ。

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