2008年 9月27日〜30日
働く前に跳べ
〜前置き〜
そ〜だ!働いていない今のうちに、昔北海道でお世話になった方の家へ挨拶に行こう!と、義理堅いのかそれとも単に北海道へ行きたいだけなのか動機がはっきりしないまま、北海道へ飛ぶ準備をする。
今回、往復の航空券入手とレンタカーの手配は、泉佐野ツーリストさんを利用させて頂きました。親切に細かな事まで相談に応じてくれますので、旅行をお考えの際には、是非御利用頂く事をお勧め致します。
準備が整い次第、9月27日(土)、午前11時前に家の近所からバスに乗って電車を乗り継いで関空へ。13時50分初の稚内行きで関西を発ちました。
※関空にて、搭乗予定の飛行機を撮影
実はこの日、関空を飛ぶ時間を15時350分と勘違いしていて、出発前にAlways02号君と早朝から海へ行く約束をしてしまうところでした。02号君、騒がせてごめんね☆
飛び立ってしばらくしてから、機内で睡眠。起きたら、着陸態勢に入る10分前でした。(笑
では、本編スタート!
〜1日目〜
9月27日(土)、稚内空港へ16時頃到着。機内で寝ていたせいか、「やっと着いたぜ!」という感慨は無く、「もう着いたのか…」という低いテンションでした。とりあえず、レンタカーに乗って稚内市内方面へ走る。
車の感覚を慣らしながら稚内市内を徘徊し、夕食と水や少しの携行食料品を買い込む。長距離移動の北海道では、常に車へ少し水や食料を積んでおくと気分的に安心します。
稚内を少し見て回った感じでは、僕が思っている程町並みは賑やかではなく、逆に何かしら物足りないというか、少し寂しい気がしました。
夕食の後は、明日の目的地に向けて少しでも到着を早める為に稚内を出て1時間走る。その末に辿り着いたのが、宗谷岬でした。こっちへ着いてからずっと冷たい強風が吹き続けていました。そんな環境の中でも、記念碑と間宮林蔵の像が北の果てをアピールしていました。まぁ、間宮林蔵位は知らなくても生きて行けます。
※北の果てへの到着記念に間宮林蔵と記念碑を撮影。
土曜の夜にも関わらず、宗谷岬には僕以外誰も居ない。Why?一応は、観光名所の筈だろ?とか思いつつ、近くを通り過ぎる車以外に人の気配は全く無く静かな事もあったので、丁度良いかなと思ってここで車中泊しました。
寝る際に使った寝袋は、過去2回と今回の北海道旅行全てにおいて皆勤賞だなぁ〜と思った事と、到着した頃から吹き続けている強風と夜の冷え込みを車越しに感じながら、「まるで、年末の仕事が終わらなくて市場の駐車場で何日も帰宅を諦めて車の中で過ごした記憶が蘇るなぁ…」等と思いながら眠りに入りました。
〜2日目〜
9月28日(日)、目覚ましをセットもしていないのに、午前6時丁度に目が覚める。縁起が良さそうな気分を通り越して逆に気持ちが悪く思えました。
暗い時はよく分からなかったけど、明るくなったら車の周りに色々ありました。
※海の向こうにはサハリンが…。右は、何か良く分からなかった建物でした。
朝の宗谷岬は、夜と違った姿に好印象!本当に、北の果てという雰囲気はします。少し曇っていたものの、ここからは海を挟んでサハリンが見えます。和歌山で言うなら、和歌山港から徳島や友ヶ島がうっすらと見えるような感じですかね。こういう風に書くと全く色気がありませんが…。
7時に宗谷岬を出発して約1時間後の8時過ぎには南東方面の猿払村にある浅茅野へ。稚内方面から来ると、さすがに猿払は近いなぁ…と感じました。
到着してから、9時半頃まで待機していました。その間に、車を停めた場所から少し歩いて川を探したり、昔立ち寄った名残を探したりしていました。
※キツネです。車の中でごろ寝して起きたら近くに居ました。
北海道の地図を見れば、猿払村というのは特に何もない村なのですが、僕にとっては何もかもありまくり!な思い出の場所でもあるのです。
話は長くなりますがその”思い出”と言いますのは、1999年の5月末から6月上旬に掛けて人生2回目の北海道旅行で猿払村に訪れていました。その時のメインテーマは、「イトウを釣る!」という題目でありまして、当時北海道での有数のイトウ生息地である猿払川とその支流に入って釣りをしていました。(当時は、確実に居た訳でなく、生息の可能性があるレベルだったので、文字通り幻でした)
最初は、猿払川河口にて遡る魚を狙っていましたが、川幅が狭い上にバスブーム時の河口湖の光景みたいに多くの釣り人が立ち込んでいたので自由は効かないし、うっかりスペースを開けると次は戻って入れるかどうかも分からない…という状況でしたが、別行動の友人から上流や支流狙いに変更すればのアドバイスもあって上流部へ移動する事に。
当時の北海道の山道は、道路工事が進んでいなければ、ただ山を切り開いた道しか無く、裏を返せば手付かずの自然が残っている為にイトウも生息できる環境だと思って、整っていない山道を車で登り続けました。
しかし、そこが北海道を甘く見ていた自分の完全なミスだったのです。北海道の地図上では、長距離の国道を除けば、殆どの山道の表示は、必ず存在するとはいえないのです。つまり、地図上では存在するけれど実際は工事中もしくは開拓もされていないという事なのです。それを知らなかった若き日の僕は、山道が目の前で終わって崖になっていたのを見て急ブレーキ!何とか車ごと崖下への転落は免れました。
しかし、一時的に助かっても切り開いた山道をUターンできる幅は無く、ひたすらバックのみで下って行くしか方法は無い。しかし、車の運転経験が浅くて未熟な僕の技術ではずっとバックで下り続ける事はできず、下がり始めてすぐに溝へ片側の車輪を落としてしまい、車は動けなくなりました。
一人ではどうしようもなく、リュックに必要な荷物を持って助けを求める為に走って山を下りました。手付かずの自然が残っている為に携帯電話は圏外、しかも車を降りれば冬眠から目覚めた熊が食料を探して頻繁に山中を徘徊している時期でした。
それでも、誰かを呼んでこなければどうにもならなかったので必死に走り続けました。13時頃から走り出して日が暮れても人一人見つからずでしたが、それでも走り続けて20時半過ぎに小さな集落(浅茅野)へ辿り着いて助けを求めた所、運良く近くに板金工を経営している方が居て、23時頃まで従業員数人と車を動員して一緒に現場へ向かって車を引き揚げてくれたお陰で事無きを得ました。
地理を知る現地の方達の説明によれば、僕が車を落としたのは集落から山を3つ越えた地点で、最も熊の出現率が高くて人も殆ど行かない場所だっただけに、車の地点へ行って初めて僕が遭難して走ってきた事を信用してくれたばかりか、その行為に驚いてもくれました。
皮肉な事に、僕が必死の救出劇がクライマックスに入る頃に、別行動の友人は離れた支流で88センチの巨大イトウを釣っていたのでありました。
そんな事がありまして、和歌山に帰ってから現在に至っても毎年八朔や家で取れる野菜・果物をお礼に送ったりして交流していたのですが、せめてもう一度挨拶に伺おうと思って今回また猿払村へやって来たのです。
10時半頃にその板金屋の経営者と再開しました。見事に顔は忘れられていましたが、僕の話は未だに”笑い話”として語り継がれていたそうです。(笑
12時頃に失礼して、旅を続ける前に先程見つけた川へ入りました。その川ならオショロコマとかマス類が居そうな気がしたんですが、遡上してきたカラフトマスが群れに蹴散らされていたせいなのか分からないけど、全く反応はありませんでした。
※橋の下で遡上してきたカラフトマスがいっぱい居ました
※捕獲したカラフトマス
※釣りに入った川。沼地が多いせいか、川の底は泥でした。右はカラフトマスのメスです
何も釣れなかったので、せめてカラフトマスのオスとメスを捕獲して撮影だけしておきました。魚体がボロボロであまり綺麗じゃないんですけどね…。時期がもう少し早ければ、もっと黒くて精悍な魚なのですが…。
13時頃から移動を開始。途中では昔に立ち寄ったマルシゲささき水産で毛蟹を買って自宅に郵送しておきました。
道中、車から降りて休憩がてら牧場の牛に話し掛ける。「網走はこの道を真っ直ぐですか?」と。しかし、牛は黙々と草を食べ続ける。牛は気楽でいいねぇ〜☆更に、砂金採掘場もありました。土産に砂金でも…と思ったけど、11キロも走らないといけないので断念。北海道の看板は、平気で”この先30Km”という表示が多い。本州とは1桁違うんですよね。(笑
※牧場の風景と、砂金採掘場の看板です。
その後も移動を続ける。せめて今日中には斜里町へ、駄目なら網走へ到着しておこうと自身に強く言い聞かせていたのが悪かったのか、中々辿り着けず回りが暗くなった事に少し焦りを感じ始めた17時20分頃に走っていた下りで出しすぎたスピードを落としていたら、丁度パトカーが潜んでいた地点がありまして、目が合った瞬間に御用となりました。
網走市への到着は目前だったのに…。正に”網走番外地”じゃよ。洒落になんねぇ…。
結局、17キロオーバーで減点1点の罰則金12000円という形で北海道の財源に寄付をしてしまいました。悪意で無理に走ろうという気が無くても北海道は勾配が多いので、登りで速度を上げたらすぐに下りに入るから勢いが殺せずに減速に失敗しやすいのだという事を身をもって思い知りました。
その後も何とか走り続けて斜里町に到着。20時前にはまだ営業していた公衆浴場を見つけて滑り込む。風呂に入った後は車に戻って寝ました。
場所が悪かったのか、夜中は寝袋に入っていても冷え込みがきつくてかなり寒かったので、震えながら寝ました。
〜3日目〜
9月29日(月)、夜中寒くて寝るのが大変だったせいか、7時30分頃頃起床。車の中は結露で真っ白でした。
移動できる準備を整えてすぐに斜里川へ移動。この斜里川は初めて北海道へ訪れた時に友人に案内してもらってオショロコマやアメマスを釣った思い出の川だったので、ここで何か釣れたら良いなと思ったのですが、車を停めるポイントには既に先行者が準備をして川に入っていました。
※左は端の下流、右は上流。水が多すぎて歩けませんでした。
僕も準備を整えてすぐに川に入る。入った瞬間。流れが強くて立っているのがやっとでした。ようやく動けるように慣れてきたので上流へ進路を取ると、先行者達は川を上がって帰って行く。恐らく流れが強すぎて釣りができないのだろうと想像。昔に来た時を思い出すと、かなり増水していましたから。
それでも、流れの緩い場所は数ヶ所ある筈だと川沿いを歩いて数箇所でルアーを投げてみましたが、魚を釣る事はできませんでした。オショロコマは比較的簡単にルアーを追いかけて来るんですけどね。まさかとは思いますが、居なかったのかな?
結局2時間で斜里川を諦めて屈斜路湖へ移動する事にしました。今日はこっちへ来て初めて快晴だったので、とっても清々しくてドライブ日和でした。
途中、摩周湖にも寄り道をしてみる。わぉ、絶景!
僕の撮影技術不足もあるんですが、摩周湖の絶景はカメラのレンズ1個には収まり切れませんでした。途切れ途切れになりながら撮影。しかし、画像が鮮明でない上に迫力不足だ…。
※摩周湖の風景。
うーん、摩周湖は本当に不思議な眺めだ。ここの湖面を覗く度に、”命が幾つでもあれば熊を恐れずにカヌーを担いでここを下って釣りをしてやるのに…”と思ってしまいます。実際何年かに1人はそういう行為に及ぶ人がいるようで、無事だった人は危険を冒してまで釣りに行く価値はあったと言うそうです。
湖面も綺麗ですが、斜面を彩る木々にも自然の力強さと美しさがあって、湖面を包む額縁のようにも思えました。ま、僕の表現力では到底説明できる筈がありませんね。実際に見て感じてもらえる方が一番だと思います。
いつまでも摩周湖を見ていても飽きて来ないのですが、いい加減移動しないとスケジュールに影響するので、名残惜しく再び移動を開始しました。
次は、屈斜路湖へ到着。運が良ければニジマスとか他のマス類が釣れるそうです。前回来た時には何も釣れず、イトヨの死骸が大量に水辺に打ち上げられていた事しか記憶に残っていません。
さて、ここで冒険タイム!ただ、普通に屈斜路湖へ出て釣りをするのは面白くない。まずは、近くに屈斜路湖へ流れ込む川があるから、それに沿って湖へ出てみようと思い、車のナビで樹海を500メートル程進んで川に当たると確認してから樹海へ突入!
樹海の中は特に草むらという訳でなく、そこらの山の中と殆ど変わらずで苦も無く進めたのですが、もう500メートルは直進しただろうと思っても川に当たらない。なら、今度は(大体で方角を覚えていたので)湖方面へ進んでみるか…と思って更に進むが全然湖に辿り着かない。
この時点で初めて、「また、いつもの悪い癖が出てしまったか…」と、自らの無謀さに呆れる。前回の北海道旅行でもそうだけど、思い返せば夏場にも同じような事をした気がするな…と、己の学習能力の低さに馬鹿笑い。だって、笑っても僕の姿が見える人は居ませんからね。
とりあえず、野生の動物を見つけては、デジカメで撮影しながら歩く。
※樹海を迷走中に頭上にいたリスを撮影。エゾリスかな?
そうこうしていると、明るい広場へ出ました。どうやら、足場は湿地帯らしくて木が殆ど生えていない。でも、太陽が見えるから方角が分かる…と思ったけど、今方角が分かってもどこへ進めば良いのか分からない。でも、とりあえず太陽のある南へ進んでみる事にしました。
歩き始めて数歩して、回りに熊の足跡を発見。しかもかなり多い。周辺には熊の糞も散らかっている。おまけに、歩きたてのような新しい物もありました。どうやら、僕は熊達の縄張りに踏み込んでしまったらしく、ここならば地形的に森の方から見通しが聞くし、足場の悪い湿地帯で獲物を追う事ができるんだろうなと分析。
縄張りに踏み込んでしまったからにはどんな対応でもできるようにしないと…と考えて、撮影は一旦中止にして周囲に気を配りながら歩く。すると、湿地帯と森の境目で結構大きなエゾシカを発見しましたが、今はそれどころじゃないと判断して撮影は諦めました。無念です。エゾシカはその境目に沿って遠くへ走り去って行きました。やっぱり、湿地帯のど真ん中へ出るのは危ないという事なのね。
再び森に入って歩きましたが、やっぱりこのままでは駄目だろうと思って来た道を引き返す事にしました。はっきりと全て覚えてはいませんでしたが、大体の感じで歩き来ました。縄張りに入っているものの、一応人間が歩いているアピールと、万が一近くに人が居る時の事を考えて、「森の熊さん」と「雪の進軍」を繰り返して大声で歌いながら歩きました。あー、恥ずかしい。
後は、屈斜路湖周辺や車を停めた付近に道路があるので、時折走る車の音で道路からの距離を考えながらしばらく歩いてみますと、何とか車の近くに戻る事ができました。結局、無駄な労力を使ってUの字みたいに歩いただけという事でした。しかし、遠目でも良かったから野生の熊(ヒグマ)が見たかったなぁ…。
さて、プチ遭難劇をやった後は気を取り直して屈斜路湖で釣りを始める。しかし、釣れるのは15センチ前後のウグイだけ。これってエゾウグイ?それとも普通のウグイ?全然見分けが付きませんわな。
※屈斜路湖で釣れたウグイ。自然に溶け込むだけでも気持ち良いです。
しかし、このウグイはルアーへのアタックが下手です。殆どが頭や下あごへのスレ掛かりなので、釣っているこっちとしてもあまり気持ちが良くないです。
たま〜に、まともなサイズも釣れます。でも、ウグイなんです。
結局、屈斜路湖での釣りも1時間程で終了しました。綺麗な湖を眺めていると、心が和みます。
次は、阿寒湖方面へ進路を取る。勿論、阿寒湖で釣りはするし、マリモを見る為です。しかし、16時になって日が傾き始めていた事もあって、釧路市内へ入ってすぐの町で空き部屋のあるホテルに入りました。
部屋を確保してすぐに阿寒湖方面へ向かおうとしましたが、丁度TVで阿寒湖方面の休火山が噴火の兆候を見せたとかで緊急ニュースが報じられていたので、これでは行けるかどうかも分からないし、回り道とか道路封鎖等で面倒な事になりそうだったので、やめておきました。
明日は帰る日でありますから、この時点でもう釣り道具と寝袋は使わなくなったので、夕食の時間までに部屋で荷物の整理を行いました。
夕食が済んでからも温泉に入ったりしてホテルでくつろいでいましたが、妙に眠れなかったので、ホテル付近で営業していた居酒屋へ入って焼き鳥2皿とカクテル2杯飲んだ上、部屋に戻ってからも酎ハイを1缶飲んで寝ました。実は、温泉から出て居酒屋へ行く前にも酎ハイを1缶飲んでました。
あー、阿寒湖へ行きたかったなぁ…。
〜4日目〜
9月30日(火)、8時前に起床。昨晩の事を考えれば当然の時間です。9時にホテルを出て網走方面へ向かいました。
※網走方面に向かう途中の藻琴山より屈斜路湖方面を撮影
※網走市内に、武部勤氏の事務所が…。本部?それとも支部?
飛行機の時間まで少し時間があるので、網走刑務所でも見に行こうと思い、ナビで名称入力したら、
※本物の網走刑務所前より
本当の網走刑務所へ辿り着いてしまいました。ナビで入力する際は、”網走監獄”にしましょう。本当に、良い社会勉強になりました。
今度こそ、ちゃんと辿り着いて入館する。初めての北海道旅行以来なので、約10年振りか…とか、純粋に懐かしいなぁ〜等々思いながら展示物を見て回る。うーん、建物の中は歴史があるせいか、空気が冷たく重く張り詰めているような気がしました。
※網走監獄内で当時の姿がリアルに表現されていました。
※精巧な作りの管理人室だと思ったら、本当の管理人でした。
真面目な話、ここで見る物は戦時中の展示物や博物館で平和について考えさせられるように、罪や刑罰について思いを馳せたり考えたりさせてくれる場であると思います。こんな僕でも、少しばかりは勉強になったと感じていますから。
最初は面白半分で入っても、出る頃には表情が変わるという、不思議な博物館だと思います。
12時半過ぎに網走監獄を出発して女満別空港へ。空港前でレンタカーを返してから空港に入って搭乗手続きを済ませる。出発は15時45分でしたが、前日泊まったホテルで見たニュースでは、本州に接近する台風の影響が近畿に出始めていたらしいので、便に影響が出ないか気になって少し早い目に空港へ到着したのです。幸い、運航休止は無く20分程出発が遅れた程度で済みました。
※出発までの間、到着の飛行機を眺めていました。
18時40分頃関空へ無事到着し、電車と家族の迎えもあって無事に帰宅できました。
今回の旅行、僕の都合で考えれば良い事と悪い事は半分ずつでしたが、北海道なんて滅多に行けないのに、人生30年の人間が旅行だけで3回も行けているんだから、十分な"幸福"ですね。出かけて怪我一つ無く無事に帰って来れた事でも十分有意義で良かったと思います。
あとがき
今回の北海道旅行で、ようやく自身が感じ取れたかな?と思った事がありました。まず一つ目は、「目に見える衰退」でした。地域によってその衰退にも格差はありましたが…。
北海道には、夕張市のように多額の負債を抱える自治体に目が行ってしまいますが、それ以外でも危機的な状況である地域は多くあったと思います。合併・統合による経費の削減、燃料等の高騰で生活苦の住民や経営不振に陥る酪農家の姿が伺えました。
無駄な公共事業はいけませんが、必要であっても経費が捻出できずに開発が遅れて生活が不自由な場所が多く、開発を放棄した山道は再び森に変わり果てていましたし、働く為に住む事ができずに都市部へと人口が流れて過疎化になっている集落もありました。昔に比べて、幹線道路沿いにあった土産物屋や飲食店も営業している店が少なく、活気は感じられませんでした。
そういった意味では、本州の田舎よりも暮らすには厳しい土地だと思い知らされました。メジャーな観光地ですら客足が遠のいて少し寂しい感じもしました。
次は、旅行中に何度か自然の風景を見る機会がありましたが、その度に人間の文明と切り離された場所がとても神聖な場所に思えてしまって、人間が踏み込んではいけないような気分にもなりました。北海道の自然は不思議でした。
旅行だけではなく、社会勉強をして来た4日間でした。
※網走監獄で買ったお土産
おしまい